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服作りの話。



ファッションとは何かと改めて考えると、

とても広域に概念化されており、何処までもファッションで

なかなか回収されてしまう。


自分も服に興味を持ち始めた頃はファッションに影響を受け、楽しんでいました。

そこから作るという段階になって、自己表現としての服作りを始めましたが、衣服表現には限界があるな、と感じつつ続けていました。

そのうちにデザインがパターン化してしまい、納得出来る服を作れなくなくなりました。

これは行き詰まったので方法を変えることに。

今度は布と向き合ってドレーピング(布をボディーに当てながらピンで固定して形作る方法)での服作りを採用しました。

それもある程度納得してしまい。


改めて服作りを捉え直した時にファッションに回収されてる服の存在に気がつきました。


資本主義のシステムと相性の良いファッションは服を世界的な消費アイテムとして位置付けました。(偏った見方ですが)

しかし控えめに言っても、ファッションとして消費されている服は当たり前な概念です。

そして、その中で素晴らしいファッションデザインや概念が生まれてきたのも真実です。


自分が憤りを感じているのは慢性化したファッション業界に回収されていると感じた事です。


そこで、ファッションに回収されない服、そして文化的な服を再定義し、服の概念を取り戻す事。それを心の拠り所にしたいと思いました。


はたしてそんな服作りは可能なのか?

作りながら模索していくより他ありません。


洋服は日本に入って来た時点でファッションという概念は発生している。


服の概念を考えた時に浮かぶのは

機能性を重視した作業着や介護服。

権威、地位を表す為の制服や軍服、王族や貴族の服、宗教服。

が浮かびますが現代はこれもコーディネートとして、ディテールデザインとしてファッションに組み込まれています。

かといって布を身体に巻き付けて服とするスタイルは現代におけるスタイリングでファッションになりますが、服の形状になっていないので服とは言えない気がします。


現段階で言えるのは、服の概念を抽象化したイメージを辿りながらデザインしていく事です。そして偏ったイメージを与えない事を目指しています。


そして、

手縫いで縫い上げる服に挑戦します。


はたして定義出来るのか?

わかわかりませんが、


服作りを続けていきます。

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